近頃、気がついたことがある、某部署のある人がなんだか喋ってくれないのだ。
殆ど横を向いてこちらを見ない、というか目を合わさない、下を向いてしゃべる。
聞かれた事だけに答える、若しくは聞こえなかった振りをする、若しくは
「何ですか?」と聞き返して、こちらにもう一度「同じ事を」言わせようとする。
相手は僕を「敵」だとおそらく思っている、考えを受け入れず否定され、傷つけられたと
感じている。前まで味方だと思っていたので余計に気に食わず敵の存在自体を
失くしてしまいたいと(この辺は今回自分で考えてみても心当たりは十分あったりするが)
思っている。
こういう手合いを「大人子供(おとなこども)」という。
それを相手にするときは、それなりの準備が必要になる。
「相手にするモチベーションを支えるエネルギー(エナジー?)を一定以上蓄える」
という準備だ。(以降とても簡単な事を回りくどく書いてしまうが…。)
その蓄えるエネルギーは人によって(キャラクターによって)主な原料(感情)が
違ってくるのだが、その主な種類によって対処から目指す結果までちがってくるのだ。
年齢を重ねるとそれがたまりにくく、維持しにくいので更に難しい事に
なってしまうので余計始末が悪い。
とにかくその「感情」の主要素は以下のように考えられる。
・悔しさ
これは形がどうであれ、ねじ伏せる、屈服させるなど以降の継続的な関係は
考慮せずあくまで最終的な結果を目指してしまう、その為相手を滅ぼす事が
主目的になり達成感はとても大きい(甘い)。
根源的な「悔しさ」はその配下に「怒り」「嫉妬」「優越」など多岐に渡る。
・悲しみA
これは相手を下に見てしまっている関係性の処から生まれるもの、その後の
継続的な関係も考慮された相手を思いやる(様に見える)手法を
取ろうとする、ポイントは
「既に(勝手に)勝負に勝っている」という点、世間で「大人」と
呼ばれる人が主に使う。配下に「優しさ」「庇護」
・悲しみB
これは自分に対するもの、ここでは「自我」と呼称されるものをさしている。
唯一自身を守っていないので通常、恣意的に発動しないが、発動し
構成率(後述)が高まると結果が最も陰惨なものになる。
自身を守らない感情が大きければ自ずとそれを守ろうとし、過度に警戒
してしまう。感情の中での基本要素。配下に「頑な」「不安」「守護」
・慈しみ
これの構成率が高まり、維持するとりっぱな新興宗教の教祖になる。
感情は概ね「方向性(ベクトル量)」をもっているが、「慈しみ」は
それとは別の「存在するもの(スカラー量)」である。
尚、知識ではなく、知恵である事が重要、知識はそのままだと悲しみAに
関連付いてしまい知識を知恵に見せて慈しみに見せる事も意外と簡単に出来る。
逆説的に言うと、慈しむ感情の少ない人は知恵の少ない人ともいえる。
・楽しみ
これは俗に言う「悪魔」ですね。
「悪魔的(楽しむ)」という感情を考える事も大きな課題ではあるが、ここでの
「感情としての悪魔」とは乱暴に表現すれば「無感情化」のファクターのこと。
適量ならあらゆる感情にブレーキをかけられる、これも慈しみ同様「知恵」を
どれだけ持ち合わせているかで作用(コントロールの幅)が違ってくる。
不足している人はユーモアセンスが欠けている。
これらの要素が、「気分」というこれも形や大きさや深さの変わる入れ物の中で常に
構成率を変えてうねっている、それは刻々と色の変わるプールのようなものを考えれば
解りやすいかも知れない。
…
で、概ね「大人子供」は悲しみBが肥大した状態に対処(相手)する事は
相手が晒す「自我」受け止めなければならず(必ずしも全てではなく一部なのだが)
一定を超えた備え(ココロの準備)が必要になる。
こっちは味方になろうとは思っていないのだから余計受け止める事なんて
相手もコッチも望んでいないわけで。
…
ほらね、もう、モチベーションが続かないでしょ、ああ、敵でも味方でもどっちでも
いいのよ的な気分になっているのよ。
(因みに上に書いた「感情の要素」のことは何に根ざしたものではない
内容ですので、念のため)