シニアとよばれて

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2009年 08月 02日

心細いときに

 心細いときに、誰かに何かを話す事で少し安心したりすることが助けになるなんて若いころの私は信じていなかった。
 他人が自分の境遇や心象を正確に把握するわけもなく、実際、誰かにそんなことを少しでも話してみても何処かで聞いたことを説教がましくノタマワルだけで何の心情の変化があるわけでもなかったからだ。だから他人から逆に何か相談されても何で私に話すのかさっぱり解らなかった。
 自分がどうすればよいのか迷う「心が細く」なるときに私はそれまで誰にも相談しなかったし、そうして出た悪い、惨めな結果は自分で引き受けて来た。

 そうして社会に出た、気のいいガラス屋の職人さんには指がなかった、スチール加工工場には片腕がないおばちゃんが朗らかに勤めていた、下地屋の社長の声はのどの機械を通じて発せられていた、私の前を夜逃げした社長が伏目がちに立ち去った、この前先輩だった人が今は私に敬語を使っている、この前私の部下だった人が会社の遥か中枢にいる、今この夜中に雨の中工事を進めている部下がいる、亡くなった外注設計者の自宅には安アパートの部屋の中にたくさんの建築写真雑誌や作品写真が残されていた、ひとり娘を電車事故で亡くした同僚は心的外傷を抱えたまま会社を辞めさせられた今も心は事故当時のままだ、流産がきっかけで妻を亡くした人は後を追い、息子が残された、お客さんで「映画の仕事」をしたいと東京に行った人は夢破れて行方がわからない。

 「自分一人では全く抱えきれない事に直面している」と気づいたのはそんなことが次々起こる道程での事だ、全くなんと言う無自覚、鈍感だったのか。
 だから、不安で「心が細く」なったときに誰かに少しでも話すことは意味の無い事ではない、相手を慮(おもんばか)る気持ちがあればみっともないことでも恥かしい事でもないと今は思っている。
 アナタは今どこで何をしているのか?どういう気持ちでいるのだろうか?私にも教えてほしい、そしてアナタは私の話を聞いてくれるだろうか。
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by nunuyoshi | 2009-08-02 03:21 | とりあえずここ


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