シニアとよばれて

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2011年 04月 22日

真実は一つではない、「重ね合わせ」もまるっぽ真実であるのか

箱の中の猫は生きているのか、死んでいるのか、どちらの状況も重なって存在する
矛盾を「シュレディンガーの猫」という。
 先ごろその矛盾が「存在する」という実験結果が出たそうだ、量子力学の基礎の
確立の際に、ある天才が提示した否定的なその問いは、そのものが、その状態で
存在するという事に(今のところ)落ち着きそうだ。
 量子テレポーテーションの話はさて置き、僕が思ったのは
「真実は思うように一つではないのだな」という事だった。
 
 箱を開ける(観測する)と猫はガスで即死し、開けなければ猫は生きている。

その「重ね合わせ」の状態が、まるっぽ真実として許容、認識してゆく思考が
これから殊更に必要になるのだろうと(勝手に)思っているのだ。
(高性能なコンピュータの誕生というような産業的なことはあちらに任せるとして)

 何故かと言うと、観測者という存在が「真実と呼ばれる事象」と常に重要な関係に在り
それを「重ね合わせ」る事で「確からしさ」として捉える量子的な行為は難しくあり
勇気も必要になるが、それこそが真実だと知ってしまったからなのだ。(今のところ)

 物理的な事柄と人の心象や哲学的な事柄を同一に語るのは危険だとは
思われる、しかし、地つながりであっても良いと思ってもいる、だって
トポロジカルな100年の問題を解いたのは物理学者だったり、ブラックマターの
存在を立証しようとしているのは数学者の学説を基にしている、事は
「クロスオーバー」にこそ進んでいるように
感じるのだ、人の学問に対してのカテゴライズは意味を持たなくなっており、自分の
持分に拘っているとそれこそ「猫」に笑われそうだ。
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by nunuyoshi | 2011-04-22 02:11 | 考える葦


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