シニアとよばれて

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2013年 05月 17日

勉強しなさい

 親が、よく子供に言う「勉強しなさい」

 それを良く聞く機会があるので、特にそうおもうのかもしれないが
子供に「勉強しなさい」と言うのは間違っているように聞こえて
仕方がなかった。
 勉強-する。 つまり学問や何かを学ぶ際に使われるが、概ねそれは主体的である。
よって、「勉強しなさい」は「主体的に学びなさい」ということを
言っている(気になっている)。
しかし、この「勉強と主体性」が違っているように思うのだ。

 同様の言葉に 学習 : 学びならう事
           習得 : ならって覚える事
           習熟 : その事になれて上手になる事
 があるが、概ね「習 - ならう」と言う語いがこのときの子供に希望する事に最も
近いように思う。

 翻って、「勉強-主体的なもの」とは、「勉強」という言葉の「勉」という意味は
「勉(つと)める」 : 精を出して、どりょくして、がまんして - とりくむ 
ということで、そしてそれを自分から進んでしなさいと指示(命令若しくは懇願?)
している事に他ならない。

 ※因みに勉めるの他に勤める、努める、務める など他にも異なるキャプションで
 用いられる言葉もあることに注意した方が良いだろう。

 つまり「勉強しなさい」は「よりいっそう(強)ガマンする事を主体的にしなさい」と
いっており多くを学んで考えて事にあたれるような人になりなさい」とは
言っていないのだ。

 子供には、多くを学んでほしいが、がまんして手のかからない(主体的とは
そういうニュアンスがはいっている)状態でいてほしいとは思わない。
せめて「今は、がまんして学習してちょうだい」
のほうが子供として(聞き手)は正確に受け止められるのではないのかと。

 聞き手(子供)らは、そういったことには敏感だ、明確に解るわけではないが
ぼんやりでも捉えるものだ。それを繰り返すとどうなるか?


 「おまえが『勉強』しろ」
 
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by nunuyoshi | 2013-05-17 02:38 | 考える葦


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