シニアとよばれて

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カテゴリ:考える葦( 26 )


2015年 09月 13日

仮想と現実との境目

 休みの土曜日は、会議の資料やら何やらを集中して作業をするのだが
今日もメールしたり、書類を作っていてフと考えた。

 パソコンで打った文章を送るのはデータ、 それを
受け取って、内容を読んで行動すればそれは現実になるんだな。

 音楽ソフトにデータを打ち込んで音楽を作って(作った気になって)
空気が震えた時点で実現したことになるのだな。

 絵の具の白に黒を少し混ぜてグレーにしようと思うのは仮想
黒のチューブを手にとって、蓋を開けて、適量を押し出して
混ぜると、目的に(近い)色の絵の具(ネタ)になるのだろうな。

 では、データ、仮想はいつの時点で現実として世に出現するんだろうか。

 ワードの書類をパソコンで作り、印刷ボタンを押して出力機に電気信号が流れ
紙に印字する過程では、紙に印字し始めたときがそうなのか
はたまた、その紙を手にとって読んだときか、読ませたときか。

 そう考えると、何も無い空間から、物質が突然現れる事も不思議でなくも無い。
ただ、その出現する瞬間の境はどこなのかと考えると夜も眠れません…。





 
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by nunuyoshi | 2015-09-13 03:04 | 考える葦
2015年 04月 11日

みんなミィ

 みんなミィってわけでもないのだろうが
結構「私的にはミィなのよ」というお姉さま、お嬢様が
昔よりかなり増えているようだ。

 昔はやっぱり主人公の彼女然としている
ノンノンに感情移入しているのが
一般的に正しい嗜好と思われた。
「私はノンノンなのよ」
(原作は名前が無くスノークのお嬢さんだったらしいが…)

 ある百貨店の「ムーミンフェア」に買い物のついでで
立ち入り、神さんとの会話で最近は、ちびのミィが
人気であることに気づいた。
 気がついたのは実は僕で、その時点で既にかなり
遅い認識であることは、神さんに指摘されたのだが
やはり、気になった。

 気が強いからか
 独創的な立ち位置だからか
 孤独だからか

 その辺ちょっと考えたい。



 

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by nunuyoshi | 2015-04-11 02:25 | 考える葦
2015年 01月 07日

これが愛。何が愛?

「愛」とは何だろう?ってこれまた年始から青臭い話ですが
この国でこの言葉の意味する処はなんぞやと考えるにつけ、とても幅広く、というより
とても抽象的で、掴み辛い言葉だと気づきます。

 これは一神教の国(とても大雑把であるが)から伝わってきた
「LOVE」という宗教用語に充てるために作られた造語だから
あんなに豪華な漢字が設えられたのです。(言い切り!)
だから、この国の中での「愛」という言葉の意味は

・慈しみあう気持ち(じゃぁ、慈しみといえば良いんじゃないの?)
・相手を慕う情 (慕うっていう時点で慕ってんでしょうに?)
・ある物事を好み、大切に思う気持ち (いや、それをわざわざ言い換える必要は?)

等々なぁるほど!と合点がいくまでには至りません。

そして、一つ目
ザ・スクリプトのディスイズ ラヴ


それは、素敵なあらゆる初めての経験に輝く子供達の目に宿るもの。
それは、死線で尚銃を持つ兵士にの心に在るもの。
それは、子供を叱る、母のその顔に表れるもの。
それは、働く父の手に刻まれるもの。
これが愛。

二つ目
ウィル・アイ・アムのディスイズ ラヴ


(途中で出てくるエバ姉さんが少し怖いですが)

僕が愛している位に君が僕を愛しているなら
僕の求める気持ちと同じ位に君が求めるなら
今夜愛し合おう、もしそんな気持ちでいるなら
「hell yeah!」といってくれないか?

この愛を感じる?
この愛を感じる?
これが愛ってものなの。



両方とも、これが愛と歌っているその内容はやっぱり少し違うようだ。
一つ目は一つ一つ確かめて積み上げてゆく。
二つ目は歌詞の内容はともかく、音を聞いているとひたすら情に訴えているが
どこかに「不安」が忍び込んでいる。

これらはおんなじ事を歌ってるんだろうか?

今年は、昨年から公私共に変化しだしたものが加速すると思われる。
その中で、「それ」に意味があるのか考えることができればいいと思っている。
少し経って、「愛ってなんだ?」って青臭いことをまた考えたときに
もう少しましな事が言えるようになっていたいものだ。




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by nunuyoshi | 2015-01-07 01:39 | 考える葦
2014年 04月 28日

選択肢の問題

 選択肢は多い方が良いわけでも無い。

 無きゃぁ無いで、迷わないで済む。


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by nunuyoshi | 2014-04-28 00:31 | 考える葦
2013年 05月 17日

勉強しなさい

 親が、よく子供に言う「勉強しなさい」

 それを良く聞く機会があるので、特にそうおもうのかもしれないが
子供に「勉強しなさい」と言うのは間違っているように聞こえて
仕方がなかった。
 勉強-する。 つまり学問や何かを学ぶ際に使われるが、概ねそれは主体的である。
よって、「勉強しなさい」は「主体的に学びなさい」ということを
言っている(気になっている)。
しかし、この「勉強と主体性」が違っているように思うのだ。

 同様の言葉に 学習 : 学びならう事
           習得 : ならって覚える事
           習熟 : その事になれて上手になる事
 があるが、概ね「習 - ならう」と言う語いがこのときの子供に希望する事に最も
近いように思う。

 翻って、「勉強-主体的なもの」とは、「勉強」という言葉の「勉」という意味は
「勉(つと)める」 : 精を出して、どりょくして、がまんして - とりくむ 
ということで、そしてそれを自分から進んでしなさいと指示(命令若しくは懇願?)
している事に他ならない。

 ※因みに勉めるの他に勤める、努める、務める など他にも異なるキャプションで
 用いられる言葉もあることに注意した方が良いだろう。

 つまり「勉強しなさい」は「よりいっそう(強)ガマンする事を主体的にしなさい」と
いっており多くを学んで考えて事にあたれるような人になりなさい」とは
言っていないのだ。

 子供には、多くを学んでほしいが、がまんして手のかからない(主体的とは
そういうニュアンスがはいっている)状態でいてほしいとは思わない。
せめて「今は、がまんして学習してちょうだい」
のほうが子供として(聞き手)は正確に受け止められるのではないのかと。

 聞き手(子供)らは、そういったことには敏感だ、明確に解るわけではないが
ぼんやりでも捉えるものだ。それを繰り返すとどうなるか?


 「おまえが『勉強』しろ」
 
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by nunuyoshi | 2013-05-17 02:38 | 考える葦
2013年 02月 13日

100円ライターについての事

 昔々、100円ライターというものが登場し、学生だった僕は気軽にタバコに火を
つける事ができた。
 いくつか持っていたが、黄色いBICの製品がその中でもお気に入りだった。

 その後当時の彼女からジッポーのライターを貰い、それを暫く使っていたので黄色い
BICは机の中にしまったままになった。

 その後もそれなりにいろいろあって、引っ越す事になりそのときに忘れていた
黄色いBICが抽斗から出てきたときには、3年以上経ったにもかかわらず
何言うことも無く、手にとって、くわえたタバコに火をつけていた。

 なんの疑問も無かった。
そうして数年、というより数十年かもしれない、年々100円ライターは退化の
一途をたどる。

買って一月もしないうちに使えなくなる、それでも
付加価値のLED照明機能は元気だったり
2週間経たずに中のガスが抜けきっていたり
サービス品などは5回点けると終わりと言ういさぎの良い物まででてくる。
見てくれだけが美しく、しかしとうの昔にその機能は失われているものばかりだ。

 時が経つにつれて、そういったテクノロジー(というには大げさかもしれない)全ては
進化を続けてゆくものと昔は考えていたがどうもそうでは無いらしい。
 
 もしかしたら、進化するものと退化するものとがあるだけかもしれない。

 しかし、ライター。人類が気軽に火をつける(熾す)ことが出来る道具と考えれば
喫煙者の持ち物以上の立居地があっても良いのではないかと、数度の禁煙の誓いを
破って尚喫煙者である私が言うと説得力もくそもないなぁと思うのも正直なところ。










 
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by nunuyoshi | 2013-02-13 01:54 | 考える葦
2013年 01月 12日

君ら増えすぎ。

 しばらく前に、何かの自然保護のドキュメントを見ていた、その概要はというと
アメリカの自然保護団体がアフリカかどこかの大自然が文字通り
鼻から垂れるぐらいの場所で絶滅危惧種の
ガゼル種(と思われる)を増やす様なプロジェクトだった。

 大変な時間と努力をして(いたとおもわれる)増やす事ができた。が、その後
彼等はその保護区にライオンのコミュニティーを一定数入れたのだ。

 姿無き解説者は
「ガゼル種(と思われるもの)は増えすぎ、このままだと餌がなくなり、バランスを
崩すため、その捕食者を入れることでバランスを取る必要がある」と語った。

 これを見た、我々は「君ら増えすぎ。」という突っ込みをテレビに入れた。

 その後、色々考えたが、まあ、コーカソイドの上から目線と言うか
自分、何様?(この「自分」はオマエという意味ね)というか、ハッキリ
神の代理人の振舞いにあきれたのだ。

 こんな奴らに、お稽古程度の英語で、日本人が太刀打ちできるわけが無い、この際
堂々と日本語で叱り飛ばしたほうが良いかもしれない。
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by nunuyoshi | 2013-01-12 00:51 | 考える葦
2012年 11月 19日

ハヤちゃん、イカちゃん

 ハヤちゃんはおにいさん、でもチョット頼りない、あそこが痛い、ここが痛いと
いつもどこか調子が悪い。でもふらふら道草食うのが好きなようで、たまに
どこにいるのかわからない時がある。
 でも、持ち前のまじめさと実直さがありやることはシッカリやり遂げる事が
出来るので、周りの人たちから愛される得な面がある。

 イカちゃんはおとうと、でもおにいさんよりシッカリしていてやることに危なげな
ところが全く無い。無理をせず、きちんきちんと出来る範囲で確実に
事を進める事が出来る。たまにどこにいるのかわからないときも
結局、予想通りのところにキチンと居る、廻りに心配はかけない子。
 でも、やろうと心に決めれば、おにいちゃんより凄かったりする。

 この二人を見ていると、イカちゃんがきになってどうしようもない、みんなの
注目をあつめるのはいつもおにいちゃんで、気にかけられないイカちゃんは
「どうせ僕なんて誰も気にしてもくれない」とへそを曲げて不良になったり
するんじゃないかと。

 まぁ、ハヤちゃんは見てくれも派手(というかヒトナミ)でイカちゃんは地味でもあるので
そのへんも影響してるのではないかと思うのだが…。

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by nunuyoshi | 2012-11-19 02:13 | 考える葦
2012年 04月 29日

敵か味方か

近頃、気がついたことがある、某部署のある人がなんだか喋ってくれないのだ。
殆ど横を向いてこちらを見ない、というか目を合わさない、下を向いてしゃべる。
聞かれた事だけに答える、若しくは聞こえなかった振りをする、若しくは
「何ですか?」と聞き返して、こちらにもう一度「同じ事を」言わせようとする。

 相手は僕を「敵」だとおそらく思っている、考えを受け入れず否定され、傷つけられたと
感じている。前まで味方だと思っていたので余計に気に食わず敵の存在自体を
失くしてしまいたいと(この辺は今回自分で考えてみても心当たりは十分あったりするが)
思っている。

 こういう手合いを「大人子供(おとなこども)」という。

それを相手にするときは、それなりの準備が必要になる。
「相手にするモチベーションを支えるエネルギー(エナジー?)を一定以上蓄える」
という準備だ。(以降とても簡単な事を回りくどく書いてしまうが…。)


 その蓄えるエネルギーは人によって(キャラクターによって)主な原料(感情)が
違ってくるのだが、その主な種類によって対処から目指す結果までちがってくるのだ。
年齢を重ねるとそれがたまりにくく、維持しにくいので更に難しい事に
なってしまうので余計始末が悪い。
 とにかくその「感情」の主要素は以下のように考えられる。

・悔しさ 
これは形がどうであれ、ねじ伏せる、屈服させるなど以降の継続的な関係は
考慮せずあくまで最終的な結果を目指してしまう、その為相手を滅ぼす事が
主目的になり達成感はとても大きい(甘い)。
根源的な「悔しさ」はその配下に「怒り」「嫉妬」「優越」など多岐に渡る。
 
・悲しみA
これは相手を下に見てしまっている関係性の処から生まれるもの、その後の
継続的な関係も考慮された相手を思いやる(様に見える)手法を
取ろうとする、ポイントは
「既に(勝手に)勝負に勝っている」という点、世間で「大人」と
呼ばれる人が主に使う。配下に「優しさ」「庇護」

・悲しみB
これは自分に対するもの、ここでは「自我」と呼称されるものをさしている。
唯一自身を守っていないので通常、恣意的に発動しないが、発動し
構成率(後述)が高まると結果が最も陰惨なものになる。
自身を守らない感情が大きければ自ずとそれを守ろうとし、過度に警戒
してしまう。感情の中での基本要素。配下に「頑な」「不安」「守護」
       
・慈しみ 
これの構成率が高まり、維持するとりっぱな新興宗教の教祖になる。
感情は概ね「方向性(ベクトル量)」をもっているが、「慈しみ」は
それとは別の「存在するもの(スカラー量)」である。
尚、知識ではなく、知恵である事が重要、知識はそのままだと悲しみAに
関連付いてしまい知識を知恵に見せて慈しみに見せる事も意外と簡単に出来る。
逆説的に言うと、慈しむ感情の少ない人は知恵の少ない人ともいえる。

・楽しみ 
これは俗に言う「悪魔」ですね。
「悪魔的(楽しむ)」という感情を考える事も大きな課題ではあるが、ここでの
「感情としての悪魔」とは乱暴に表現すれば「無感情化」のファクターのこと。
適量ならあらゆる感情にブレーキをかけられる、これも慈しみ同様「知恵」を
どれだけ持ち合わせているかで作用(コントロールの幅)が違ってくる。
不足している人はユーモアセンスが欠けている。

 これらの要素が、「気分」というこれも形や大きさや深さの変わる入れ物の中で常に
構成率を変えてうねっている、それは刻々と色の変わるプールのようなものを考えれば
解りやすいかも知れない。



 で、概ね「大人子供」は悲しみBが肥大した状態に対処(相手)する事は
相手が晒す「自我」受け止めなければならず(必ずしも全てではなく一部なのだが)
一定を超えた備え(ココロの準備)が必要になる。
こっちは味方になろうとは思っていないのだから余計受け止める事なんて
相手もコッチも望んでいないわけで。



ほらね、もう、モチベーションが続かないでしょ、ああ、敵でも味方でもどっちでも
いいのよ的な気分になっているのよ。

(因みに上に書いた「感情の要素」のことは何に根ざしたものではない
内容ですので、念のため)
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by nunuyoshi | 2012-04-29 04:07 | 考える葦
2011年 12月 30日

深呼吸する惑星

深呼吸する惑星  作・演出 鴻上尚史

最後の第三舞台

封印解除&解散公演
それを言われたら行かねばならないのは、(元)ファンの心情。
うまく乗せられ、何年かぶりに見に行く。
怒涛のセリフの量、カスリ気味のギャグ、疾走するストーリー。

カーテンコールには、何故か年甲斐もなく泣いていた

感動したからか?

懐かしかったからか?

会場から出てきた目を潤ませたオッサンは手ぬぐいで
顔を拭きながら、タバコをふかして考えた。
いや、少しばかり違う…。

以下観ていない人には解らないと思われるが
ネタバレ注意。

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by nunuyoshi | 2011-12-30 03:46 | 考える葦